次の活動実施予告・実施済の報告


◎2024年度もつくし野ビオトーププロジェクトを実施します。
〇第1回定例活動は4月20日土専用畑で年間プログラムの発表や新キャベツと「?」の収穫体験などです。希望者にカブトムシの幼虫配布もします。
〇 第1回特別活動は、実施日・内容ともに未定です。

2010/04/01

「田村校長先生 ありがとうございました」

春は、出会いの季節でもあると同時に、別れの季節でもあります。

この春、これまで長くお世話になった田村校長先生が退任されることになりました。

お礼の気持ちに代えて、先生との出会い、そして今日までをしたためます。

小池常雄 記


「小学校の校長先生から電話があったわよ」・・・と妻が言ったのはもう4年前のある夜のこと。

夜遅く仕事から帰宅し、急にこんなことを言われた私は目を白黒。

「何も悪いことはしていないが・・・」と半分警察から電話を受けたような気分。

すでに、上の息子はつくし野小学校を卒業してすでに6年、下の娘は3年ほどすぎ、小学校は縁遠いものになってていた。

校長先生が、一体、私に何の御用かと思ったのが、その時の正直な感想だった・・・

呼ばれて久々につくし野小に足を運べば、保護者が20人ばかりいたろうか・・・

田村先生は何をやりたいのか、何をやらせたいのか、なかなかはっきりおっしゃらない。

しばらくお話を聞くと、どうやら課外授業のような活動で、ビオトープを作りたい、カブトムシを育てたいというお気持ちだということは何となく理解できた。

されど、設計事務所に勤務し、一級建築士として、小学校や企業の研究所などでビオトープ作りに仕事として関わっている私の立場としては、どうもカブトムシとビオトープがすぐには結び付かず、またも目を白黒。

それでも、会合の後で、校内を案内され、カブトムシの幼虫をたくさん見せられ、その頃はもうずいぶん暖かくなり、蛹化の時期も近いはず・・・と子供のころから生き物好きな私は心配になり・・・

息子が小学生のころは、カブトムシを育てたこともあり・・・

(息子より自分のほうが一生懸命世話をしたことも、懐かしく思い出され・・・)先生は校庭の隅にある古い水槽に放したいと言われるも、これまた水はけが悪く、水分のコントロールなど、なかなか容易ではないはずで・・・

ここで頭をもたげたのは小池の職業:建築士としての本能のようなものだったのか・・・と後になれば、思う。

あわてて、廃材をもらいに走り、次の月に初めて集まった日曜大工もしたことのない父母たちを労働力に2回ほどの活動で、後にカブトムシ御殿(第一御殿・前期)と呼ぶ飼育小屋を作ってしまうことになった。

これは設計者としては全く初めての経験ばかりだった。

だって、建築設計事務所はお金(資金)も作ってくれる人(施工者)も時間(工期)も何をつくりたいか(仕様書)もあって初めて仕事になる。

今回はこれらの全てが全くない。

文字通り図面など書いても何の役にも立たない(実は手書きの図面は作ったのだが、資材が十分でなくその通りにはできなかった)、まさに現場合わせ(現場で集めてきた廃材を寸法順に並べて、作れるものの大きさを決めていくという・・・)の建設作業となったのだから・・・

来てくれたお父さんたちに、電動ドリルの使い方をお教えすることからはじめることになろうとは・・・



この御殿、第一は次の年に増築が済み、さらに今はすでにいろいろな形態の第三御殿まで準備中。


以後、あっという間の4年間。

「つくし野小ビオトーププロジェクト」と名付けられたつくしの小での活動は、校地がせまく、丘の上で水場がないという田村校長の前任地の鶴川二小とは異なった立地条件のもと、模索の中で「親と子の環境学習活動」といった形に収束し、さまざまな生き物や環境に関わる学習を展開することになっていった。

これは自分にとっては、田村校長先生のお気持ちと同じく、自分が子供のころ味わった川遊びや焚き火、工作、生き物を育てる、森の中で遊ぶ・・・といったことを今の小学生は経験していないのではないか?自分が住む街の小学生が生き物や自然の事物、環境とのかかわりが貧弱なままに受験に突入し、大人になってしまっていいものだろうかという素朴な個人としての背景もあったように思う。

また、仕事で設計者としていくつもの小学校に関わっていても実際に小学生と関わることはほとんど無く、これまた自分自身の心の中の不満・欲求にあったことかもしれないと今になってはぼんやりと思い返しても見る。

これまで延べ4年間の活動で、正式な活動回数だけでもすでに50回近いのではないか?焚き火、ヤゴの救出、森遊び、カブトムシの飼育、川遊び、ホタルの観賞、地域の自然観察、鳥の餌台・巣箱作り、校内への設置、活動報告看板、校内への掲示、メダカ池・トンボ池の整備、キノコ園の設置・・・

麻布大とのコラボレーションでの活動も途中で加わった。

今年は、近くのお寺が土地を貸してくださり、いろいろな作物をつくり、食育にまで手を伸ばしてしまった。

これも不安の中でスタートしたが、思わぬ大きい収穫があった。


ついには本年3月の活動では、ロータリークラブからいただいた補助金をもとに、仙台から宮城教育大水谷教授を招聘し、出張科学工作教室まで開いてしまうという暴挙まで成し遂げた。

いやなんのことはない、小池が従弟をだまくらかし、むりやり一年前に飲んだ時の約束、講演料なしで酒は飲ませるから来てくれないか・・・を実行させてしまった・・・ということなのだが・・・

参加者数も年々増え、今季は毎回50-160名と安定した参加者に恵まれ、年間の総参加者数は1000名を越えるにまでなった。


これは児童のみならず、保護者にもこの活動が認知され、継続して参加してくれるメンバーがいるからに他ならない。

六年生から卒業生OKの会を開いてほしい・・・などという言葉も聞こえ、私の頬を緩ませてくれる。

4年間を振り返ると、そもそもこの種の活動に対する潜在的ニーズは相当に根強かったのではないか、校長先生の4年前の呼びかけは、保護者や児童のニーズをとらえていたのだと、お手伝いしてきた自分としても意を強くしている。

この活動の中での田村先生のお姿は実に楽しそうにお見受けする。

この活動が近い週の後半は「校務をしていてもそわそわしている・・・」とは前任の中野副校長のお言葉。

ストレスが多いだろう田村校長の管理職のお仕事も、子供たちと一緒に過ごすこの時間で癒されておられたのかも知れない。

しかし、とても困ったこともあった。

どうも、田村校長、水に入って網を握ったり、森に入ったり、釣り竿を握ったりしたとたん、頭の中が50年ほど若返って、すっかり子供のころの田村少年に帰ってしまう。

少しも川から上がろうとしない田村少年(外見は間違いなく教育者:田村校長)に、何度、「先生そろそろ帰らないと・・・もうこんな時間ですよ・・・」と言ったことか・・・


この活動を元に、今期、つくし野小は東京都教育庁から環境学習優良校の表彰を受けた。

さらに鶴川二小と同時にビオトープ作りコンテストで銅賞を受け、田村先生としては二冠に輝くことになった。


さらにさらに小池個人として、この活動で町田市より教育支援ボランティアの表彰をいただくという栄誉も得た。

さらにさらさらに、個人で応募した読売新聞主催の「地球にやさしい作文・活動報告コンテスト」(通称:エコ作文コンテスト)の一般の部で入賞までさせていただいた。

この文章の内容は、「自宅でやっていた巣箱作りを、ビオトーププロジェクトの中で実施し、毎年、児童や保護者たちと作った20-30個の巣箱がつくし野の街に広がっていく、つくし野の街全体がビオトープになればいいな・・・」と言う内容を記したもの。

文字通り、この活動の中で私がお話しし、活動からそのまま生まれた文章に他ならない。

来期は、つくし野小の子供たちがこのコンテストに応募してくれないか・・・と夢見ている。

田村校長が最近、わたしに言われたお言葉に「後ろ髪を切っておくよ・・・」というものがある。

「そんなことを言わないで下さいよ、校長・・・」と私は言いたいのだが、声にならない。

この活動に自宅から出かけるとき、いつも妻から言われる言葉がある。

「校長先生に遊んでもらってきなさい。」・・・と。

50をすぎたおじさん(小池のこと)が貴重な休日を児童や地域のために費やす神聖なボランティア活動に対し、「遊んでもらう」とはあんまりだと思うが、いやいやなかなか本質を突いているのかも知れない。

先生、4年間、ありがとうございました。

楽しい時間をたくさん、子供たちとご一緒させていただきました。

「田村先生、これからも(時々は)私たちと遊んでください。」

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