2月23日:田村健治先生の4回忌
つくし野ビオトーププロジェクトは当初、
当時の町田市立つくし野小学校校長であった田村健治先生が保護者や地域に呼びかけて始まりました。2005年5月のことでした。
つまり、田村先生は当活動の創設者です。
途中で名称は「つくし野ビオトーププロジェクト」と変わりましたが、活動は継続され、まもなく創設14年になります。
総活動開催数は160回以上、総延参加者数は1万人を超え、ブログの総PVは12万6千回を数えるまでになりました。
当初から活動に関わり、田村先生が教育委員会に異動された後、主催者を務めてきた私としては、活動を見守って下っていた田村先生が4年前に亡くなられたことは、とても大きな損失でした。
なぜかというと、この活動は、地域や私に残された、先生からの宿題のように感じ、一生懸命に宿題に答えようとしてきたからです。
宿題への答えは、創設以来の様々な社会や地域環境の変化を受けて、変わってきているように感じます。
その時々の状況に応じ、様々な内容の活動の企画で、顧問の皆さんなどのお力をお借りして、宿題の答えを皆さんにお届けしているつもりです。
2月の活動の際、支援してくださっている田村先生の奥様のゆり子さんに、こんなことをお話ししました。
「いまこんな形での活動を続けていますが、先生の宿題には、お答えできていますか?
でも、
『合格! これで、おしまいでいいよ!!』
・・・と言ってくださるかたが、いまは天国ですからね・・・。」
・・・と。
この言葉に対し、ゆり子さんからこんなことを言われました。
「(田村先生は今日の活動を)たぶん一緒に歩いていたのかも?と、思っていますよ…。
楽しいことには目がない人ですので・・・。」
もしそうなら、この日の活動は、合格していたのかもしれません。
田村先生がつくし野小の校長を退かれてから10年以上。
でも私は、活動を開くたび、先生を思い出します。
特に奥様のゆり子さんが、顧問として参加してくださるので、活動冒頭にご紹介するときに、必ず先生のお名前を口にしますしね。。。
私は、なかなかご自宅のご仏壇にお参りにはいけないのですが、その代わりに活動の準備や畑の世話などに精を出すことにしています。
私が楽しそうに畑をやっていると、天国から楽しそうだからと見に来て下さるかもしれない…と…。
田村先生の宿題に、天国から合格の通知をいただけるのは、いつの日になるのでしょう?か…。
以上です。
文:小池常雄
写真:過去のブログより
ブログ編集:同
0 件のコメント:
コメントを投稿