次の活動実施予告・実施済の報告


◎2024年度つくし野地区での活動は延20回実施。延参加者数は766名。 ◎F幼稚園での活動は延15回、延871名参加。 ◎小川小への出張環境学習は延11回実施。延887名参加。 ◆3地区で延2,524名/46回の活動を実施。
〇2025年度第9回定例活動は12月13日土51名の参加者で無事完了済。第7回特別活動を27日土午後実施し、年内の活動をすべて完了しています。

2025/12/28

湿地型ビオトープの遺伝子汚染

  人造の遺伝子で汚してはいけない  
小川小の校庭で、2024年度 出張環境学習で資材などを持ち込んで整備した湿地型ビオトープ。
当活動の参加者から、この池に色のついたメダカが泳いでいる…と連絡があり。
(上の写真は2025年9月上旬Sさん撮影)
どうやら誰かが学校に無断で放したらしい。
放したのはだれか?は特定できないけれど、せっかく在来種で再構成された湿地型ビオトープの再生、台無しにされてしまった。
基本的な再生型ビオトープの知識のない人が放したのだろうけれど、せっかく苦労したのだけれど…

何が問題かというと。。。
下の写真のような個人宅の水盤の管理されたエリアで、他と交雑しないのであれば問題は無い。
けれど、そもそも本来のこの地にあった生態系の復元を目指し、せっかく2024年晩秋にA氏から寄贈を受けて子供たちの手でこの池に放流したクロメダカと交雑する可能性がある状況になってしまった。
(注:このクロメダカはこの地域で生息しているものが手に入らなかったので、市販のものを繁殖させたものとのAさんからの解説を子供たちに伝えたうえでリリースしたもの)
これを解消するには、再度池の水を全て抜き、中のメダカたちを出してしまわなければならない。
その取り出すメダカたちは、自然界に出て行かないように、人の管理下で飼育するか、厳しいことを言えば、全て殺してしまわなければならない。
銀色や錦鯉に似たもの、ヒメダカなど最近流行している様々な色形のメダカは、全て人が作った(遺伝子を改変させて作った)人工の生き物。
自然界にはいないきもの。
[これは個人の住宅で管理されているので交雑種が生じない遺伝子改変メダカ]
「硬いことを言わなくても…」と思う人がいるのだろう。
「可愛いからいいではないか?」という人もいるのだろう。

されど、生物・環境・ビオトープの考え方からいうと、せっかく苦労して再生したビオトープに人の手で改変した入れてはいけない生き物を投入し、人造の遺伝子で人為的に汚してしまったことの理解がない。
いれたのが在校生か、地域住民かはわからないけれど…。
苦労して改修した池を人造の遺伝子で汚すことは知識のない人が簡単にできてしまう。。。
残念なことです。
一般的な在来種のクロメダカ
年末も近づいた2025年12月初旬の様子。(敷地外道路から撮影)
追記:
読者から遺伝子汚染というのはただしいものの、「遺伝子改変」「人工の生き物」「人造」などというのは行き過ぎではないだろうか。変な誤解を生みかねない表現におもうとのコメントを頂きました。
「遺伝子改変」「人工の生き物」「人造」との表現は、1級ビオトープ管理士(施工・計画)資格を勉強し、環境カウンセラーの登録を環境省に申請する勉強をする中で、得た知識などを基にした表現です。
確かに強い表現ですけれど…意外に身近な行動が環境に影響することの警鐘を意図しています。
自然界の生き物にヒトの手で遺伝子レベルで改変し、自然環境の中に流出して影響してしまうことや生物多様性の保全は、野菜やペットなどの身近な生物の改良とは全く意味が異なる…と考えます。
もはや様々な外来種は身の回りの自然・生態系の一部になっていますし、とても難しいですよね。
里山に行くと中国からペットとして持ち込まれたガビチョウの多さに驚きます。
チョウセンオオサンショウウオと交雑してしまったオオサンショウウオが、野外に戻せず死ぬまで水族館などで飼わなくてはならないのは有名な話です。
野菜やペットが自然環境の中に出て、繁殖し始めたら大変なことになります。
ガビチョウのみならず、ノネコ、ヤケン、アライグマ、キョンなどはその例ですよね
本当に身近な身の回りの環境、自然の中に、大きな問題も潜んでいることを考えなくてはなりません。
特命さんへ、「コメントありがとうございました。」
文章:小池常雄
写真:Sさん、小池
編集:小池

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

品種のメダカは、複雑な累代飼育によるものであり、人が産み出した品種であることは確かであり自然界には放してはいけないものである。

ただ、その過程は特徴を残すための累代飼育であり、コイ、金魚だけでなく、野菜などと同じ。遺伝子汚染というのはただしいものの、「遺伝子改変」「人工の生き物」「人造」などというのは行き過ぎではないだろうか。変な誤解を生みかねない表現におもう