次の活動実施予告・実施済の報告


◎2024年度もつくし野ビオトーププロジェクトを実施します。
〇第2回定例活動は5月11日土と予告していましたが、サツマイモ苗入手の都合で5月19日日専用畑で実施に変更します。
〇 第1回特別活動は、5月5日日こどもの日午後実施します。

2022/04/27

ヒトが作った生き物:カイコ(その2)

   カイコについて 反響を頂きました  
先にカイコの飼育について記載しました。
このブログに対し、いつもに増して、いろいろな形で反応を頂きました。
その後のカイコたちの姿の写真と合わせて、2つの文章をお許しを得て転載します。

まずは、鉄鋼マンさんより
「蚕の記事、非常に興味深く拝読しました。
とても、面白い取り組みをされていますね。
町田は駅前に『絹の道』の碑が立っているように、
八王子方面の絹を横浜から出荷する通り道だったようですが、
地場で養蚕をしていた方もいるのではないかと思います。
長男が(つくし野小)4年生くらいの時だったかと思いますが、
小学校から蚕を貰ってきて、一生懸命育てておりました。
ブログに出ていたような飼料もあるようですが、
パークロード周辺に何本か桑の木が生えていましたので、
そこから葉っぱを頂いてきて、十分賄えました。(ビオトープの畑にもありますね…)
ちなみに、下の写真は、うちの庭と、
周辺に生えている野良の桑です。
私の田舎の(福島県)郡山市は、養蚕が盛んでした。
今、どうなのかはよくわかりませんが…。
父の実家は大きな専業農家で、私が小学生になるころまでは養蚕をしていました。
祖母は『蚕様』(かいこさま)と言っていました。
農家にとって貴重な現金収入をもたらしてくれるということなのでしょう。
倉庫の二階に竹で編んだ直径1m以上のザルのようなものがあり、
新聞紙を敷いた上に桑の枝が敷き詰められ、
それを蚕が一心に食べている音が、耳に残っています。
父の実家に行ったときの忘れられない思い出は、
伯母が家の敷地内にある池に連れて行ってくれたことです。
何やらざるに入れて持っていたのですが池に近づいてそれをまきました。
すると無数の鯉が寄ってきて、バシャバシャバシャっと奪い合いをして食べていました。『それ何?』と聞くと
『蚕の糸を取った後のサナギだよ』と言われました。
その時はふーんそうかあ・・・と思っていたのですが、
その後、母屋に戻ったら、ご馳走が出てきました。
『鯉こく』というものです。
鯉を筒切りにして甘く似たものです。
盆地である郡山では、鯉は貴重なたんぱく源です。
でも、筒切りになって、内臓も一緒に煮込まれた姿を見て、
『さっきサナギ食ってたよなあ・・・』と思うと、全く手が出ませんでした。
必ずしも裕福ではない田舎の農家では、客をもてなすご馳走であったはずですし、
父も『内臓のところが栄養があってうまいんだ』と言って
喜んで食べていましたが、私にはちょっと無理でした。
友達の家にお邪魔した際に(食卓に)出されたこともあるのですが、
申し訳ないと思いながら、手が出ませんでした。

それから、中学校の頃は桑畑の中を通って、学校に通っていました。
その時、大変驚いたことがあります。
桑の木の根元に、巻貝が大量にいたのです。
蛍の幼虫のエサになるカワニナをもっと細くした感じの貝でした。
カルシウムを補う肥料として貝殻をまいているのかな?…と思ってよく見ると、
生きていました。
それ以上深く考えずにいましたが、
社会人になってから、それが
『かんにゃぼ』という名の貝で、
肝臓に良い薬になることを知りました。
会社で酒席も増え、飲んでみようかなと思い、帰省した時に郡山の駅で買ってきたのですが、結局一度も使わないまま、冷蔵庫の奥で眠っています。

(つくし野の)パークロードに生えている何本かの桑を見てみると、
それぞれに葉っぱの形が違います。
通られた際には、是非見てみていただきたいと思います。
何かの幼虫がついていたら、びっくりしちゃいますけどね。」

【注:小池】
調べると、「かんにゃぼ」とは「ツメキセルカイ」の事ですね
以下、ウィキペディアから一部を引用。
日本では、福島県郡山地方などで「カンニャボ」と呼ばれ、肝臓の薬としてキセルガイ類のエキスや粉末などが販売されている。
原料となるのは同地方に普通のナミコギセルやヒカリギセルなどであるが、業者の一部はそれを「ツメキセル貝」と呼ぶ場合もある。
調べてみると「株式会社カンニャボ」という会社で売っています。
薬品としてではなく、栄養補助食品としてですが…。
「カンニャボ エース」200粒入りで、8640円! 
一日3~6粒飲むように…との指示で、1月から2か月分…安いものではありません。

私:小池も、小学校を卒業するまで住んだ静岡県最西端 浜名湖岸の湖西市で、カイコを飼育する農家を見せてもらった記憶があります。
昭和30年代後半から40年代前半でしょうか?
飼育方法は同じ。
無論 人工飼料ではなく、天然の桑の葉でしたが…。
ですから季節は、初夏から盛夏。
「おかいこさま」…と呼ばれていて、冒頭に「お」が付いていたこと、農家の2階のような場所でたくさんのカイコが、シャワシャワと葉を食べる音が響いていたことが記憶に残ります。
畑の隅の土手などに、繰り返し刈り込まれ変形した桑の木が決まって植えられていましたし…。
日本人の姓には「桑」の字が付く名字や地名が多く、それだけ生活に密着していたということかと…。
(桑田、桑原、桑木、桑野、桑崎、桑子、桑島、桑沢、桑名、桑下、桑井、桑内…
…なぜか、蚕がついた名前はあまり思い当たらず…。)
桑はカイコの食草以外に利用方法は知らず。
それだけ、蚕の飼育が日本人の生活に密着していたということかと…。
これはマーカーで着色して実験中の蚕の飼育状況
食紅で各色に着色した人工飼料。
これは無着色の物。
人工飼料を作る方法をWebで見たけれど、黙って食卓のお皿に乗っていたら、
抹茶羊羹か、抹茶アイスか?と思わせる外観!
これは繭を作る行動に入ったばかりの様子。
片方は丸い筒の中で、蛹に…。
やはり、周辺と蛹をつないだほうが安定するのだろうか…。
これは、飼育キットに付属していた蛹化の仕切り。
子供の頃は、ワラで三角形を組合せ、立体的に作ったものを使っていた記憶がある。

以下は、以前つくし野に住んでおられ、
今はお仕事の関連でご家族でフィンランド在住のYMさんからいただいた内容です。
(複数のお便りを小池に責任で一部調整してまとめてあります。)
「私も娘が蚕を飼った時に、蚕の幸せについて娘と話しました。
家畜とかもそうだよねー とか話した覚えもあります
理科の先生すごい研究熱心ですねー

いやあ、やっぱり、あんな可愛い顔して、食べも出しもせず、ひたすらカーテンの裏とかに卵を産み付けてしがみついている健気な姿?…を見たら何か悲しくなりました
自分達で育てた豚を食べるという試みをした「いのちの授業」というドキュメンタリーや、
卵から育てた鶏(ニワトリ)を自分の手でしめてさばいて食べる(体験学習をした)子ども達がいるように、
普段から私達は動物が私達の為に犠牲になっているのをあまりにも知らなさすぎですよね。
「いただきます」には色んな意味が込められているんだから、
大切にしたいね…と普段家族でお話してます
こちら(フィンランドにいても)でも
「頂きます」と「ごちそうさま」は大切にしています
遠く、地球の反対側のフィンランドからのうれしい反応でした。

これは実験の際、繭の一つを切り取ってみたところ…。
幼虫から脱皮した際に脱ぎ捨てた皮が蛹の左上に写っています。
本当はぴくぴく動いているはず。
私も以前の勤務先で屠殺施設の改修設計の仕事をしたことがあり、施設の一部を見学しました。
この種の施設は、社会の目に触れない様になっていますが、とても印象深いものでした。
スーパーできれいにパックされた肉は、元のいきものとしての姿があることをついつい、忘れてしまいます。
カイコがいろいろなことを考えさせてくれました。
羽化して、カイコから出てきたことろ…。
口からアルカリ性の液を出して、タンパク質でできた繭糸の繭を溶かして穴をあけ、出てくるのだそうで…。
文章:鉄鋼マンさん(つくし野在住)YMさん(フィンランド在住)、小池常雄
文章調整:小池常雄
写真:鉄鋼マンさん(桑)、JSさん・ASさん(カイコ)
ブログ調整・編集:小池常雄


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