社会貢献 も まずは安全第一
遅く訪れた秋の日。定点で通っている新治市民の森を歩いていると、広場の草刈りで切り残された木の頂部がトンボのひなたぼっこにちょうどいいらしく、場所の取り合いになっている。
逆光に羽が透けて美しい。
前日の強風のためか、ナラ枯れのコナラ?の太い木が倒れ、道を塞いでいる。
倒木が安定している事を確認してから、くぐり抜け…。
ここまでの経路でこの日が活動日であることを確認していた新治里山愛護会に連絡したほうがいいか…と思案していたら…。
既にこの状況を把握していたらしく、4名の人たちがエンジン式チェーンソーなどをもって登場。
この先、4名のボランティアの人たちの作業を見ていたのだけれど、その方法にいろいろ考えさせられることがあり…。
(既にエンジン式工具による騒音で、そもそも目的であった野鳥の撮影は不可能に…)
作業の4名の内訳は、わたしより高齢な人が2名、若手が2名。
高齢の人がエンジン式チェーンソーの扱いに慣れているらしく、到着してすぐにこの人が全員の役割分担をすることなく、一人で作業開始。
2本の倒木をともかく筒切りにして、除去することに集中しておられる。
不安定な倒木の安定性の確認や周辺の通行者の確保などを一切していない。
この種の重量物を扱うときは、まず落下する可能性がある場所から人払いをし、高所の重力物を道路面など、低く安定した場所に下ろして安全を確保してから、筒切りのような次の処理作業を行うのが鉄則と思うのだけれど…。
ベテランの男性が、率先して真っ先に目の前にある高い位置の倒木をチェーンソーを高く持ち上げて切り取っていく。
周りの3人はその作業を見ている。
下の写真では、距離感がつかみにくくわかりにくいけれど、不安定な倒木の真下に潜り込んで作業している。
不安定で危険な斜面の倒木をまず安定させ、危険な状態を除去する作業を優先させることなく、安全を確保した後に作業すべき筒切りを優先している。
つまり目に見えた、作業しやすいことを先にしている。
ひとりが道路面でしゃがみこんで下を向いて小枝をのこぎりで切断するのに忙しいけれど、右の斜面の上では残りの3人が、斜面の倒木を切っている。
下を向いた人のところに、上から筒切りにした木が転がってきたらどうするのだろう?
彼ら4人は、ボランティアで作業しているのだろうし、聞けば、安全講習は受けているというけれど…。
以下は個人的な所見。
①客観的に第3者的立場で安全確保をする役割の不在。
全員が作業するのではなく、だれか一人が作業することなく、客観的な状況把握をする役割を担い、安全確保をするべきではないか?
写真には残さなかったけれど、子ども2人を連れた家族が倒木をくぐって通過。
けれど、除去作業に熱心なあまり、あまり関心を払わない。
経験が豊富な人が、率先して作業したほうが確かに作業は早く終わるだろうけれど、皆が下を向いて作業してしまうと、客観的な安全確保をする人がだれもいなくなってしまう。
②まず最初に行うべきは、危険の排除ではないか?
高いところにある危険な重量物はまず低い安定させられる場所に下ろし、落ちたり、転がったりしないところに安定させ、その後で処理しやすいように筒切りや枝払いをすべきではなかったか?
安全確保を優先することなく危険な環境で、作業しやすい些末なことから作業してしまっている。
私も建築の仕事に関わるようになった新人の頃、現場の作業しているのに、監督の立場の人が何もしていないのを不思議に思い、その人がずるいようにも思えたことがあった。
時間が過ぎて、現場のことが分かってくると、何もしていないように見えた人の役割がようやくわかってきた。
建築の世界では、最近大きな現場の事故が複数起こり、色々な原因が指摘されている。
この里山管理の現場でも、当つくし野ビオトーププロジェクトも、規模も背景も異なっているけれど、参考にしなくてはいけないこともある。
また別の場面だが、この団体の道ばたの草刈りでは、在来種の貴重な植物も、植物に対する知識なく、手当たり次第に刈取り、立ち入り禁止エリアの中に押し込んでしまっている作業方法をしている。
例年貴重な昆虫を観察できていた場所で、貴重な食草が失われている場所もある。
良かれと思って作業しているのだろうけれど、逆に自然破壊ではないか?
自然保護活動も、まずはそれぞれの分野の勉強から始めなくてはいけないのでは?
ビオトーププロジェクトで、以前一番人気があって、160人もの人が押しかけてきたけれど、ある時から活動自体を止めてしまったのは「焚火で食べ物を作る活動」。
本来は、自分たちが畑で作ったサツマイモを焼いて食べる活動は、本来の意味で最も食育的にも環境学習的にも学習効果が高かったけれど、やめてしまった。
それは、
・参加する保護者が主催者の指示を聞かず、勝手に火をつけてしまう。
・焚火に炙られた鉄棒を触った子が軽いやけどを負い、安全確保の不備を指摘されたこと。
(やけど対策で、冷却用の氷を用意しておいたけれど、そもそも連絡が無く使われず)
(160人もの参加者では、それぞれの保護者に自分の子供を見てもらわなくてはならないのは、必須。)
・火の経験が少ない保護者が多数の状況で実施する事は、少人数ではリスク管理できない。
…大人にも子供にも人気があったし、止めないでほしい…という声もあったこのプログラムも、以後実施しなくなり、貴重な経験学習のチャンス自体が、この街から失われてしまった。
最近は、キャンプブーム。
保護者がこういった活動への志向があれば、子どもも焚火などの経験ができ、火との付き合い方、やけどの対処方法を学べるのだけれど、どうも昨今の保護者は、基本的な自然体験、経験不足の人が少なくない。
私は田舎育ちなので、子どもの頃、夕方の仕事は風呂焚きだった。
無論ガスや石油ではなく、木材などの可燃物。
だから、風呂の焚口についていなくてはならず、火のコントロール技術は、小学校低学年に習得した。
今の保護者、特に男性は、焚火に関しての関心は高いけれど、基本的な経験があまりに足りていない人が多すぎる。
自然保護も、環境体験も、焚火も、基本的な自然体験を子どもに届けたいという意味では共通している。
でも、基本的な自然体験不足の大人ばかりになってしまった今の状況では、かつては常識であった内容の安全確保も重要になっている。
活度案内のチラシに備考として、細かい字で注意事項を書き連ねている。
これは不要ではないか?との声も時に聞くけれど、
18年、延1.7万人の参加者の活動を主宰しているといろいろな経験をする。
だからそれぞれの項目に、保護者の驚く反応への経験が背景にある。
もう少しすると、
「歩くときは、左右どちらかの足をまず体の前に出し、次に反対側の足を前に出すと、体は前に進む…」と書くことになるのではないか?
野鳥の姿を撮影に行ったはずの里山で、色々なことを考えさせられてしまった。
文章:小池常雄
写真: 同
(個人が特定される写真は、一部を加工しています。)
撮影日:20231007
撮影場所:新治市民の森
ブログ編集:小池
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