ほんのわずかな違いが…
自宅玄関階段下に長く設置してあるミニビオトープにつくし野小プールから救出してきたヤゴを放し。
梅雨の合間に次々羽化しているのだけれど…。
片側にはちゃんと羽化できたアカトンボの抜け殻があるのだけれど…
丸い小枝の反対側には、こんな無残な姿になってしまったヤゴの姿があった。
全身をアリにたかられ、羽化を果たすことなく、既に絶命している…。
ヤゴが、羽化するタイミングを計りながら日中枝の根元に待機し、夕方になって小枝を上り、早い夜に成虫になり、朝になって明るくなると飛び立つ…のは、最も外敵に襲われやすく脆弱な時間を夜間にし、その時間で体を整えている…と理解していた。
けれど、梅雨の時期、後から羽化を試みたヤゴは、曇天のせいか時間を誤り、アリたちの活動時間中に小枝を上り、襲われてしまった…のかもしれない…。
恐らく1日も満たない時間の間に同じ小枝を選んで羽化を試みた2匹のヤゴだけれど、その後の運命は大きく違った。
羽化を決断する時間のほんのわずかな差が、大きな違いを生んでしまった。
この例だけでなく、枝を登り切った段階で、羽化しない個体もいる。
タマゴとして産み落とされてから、ここまで成長するに大変だったのに…。
特別講師として何度か、当活動に来ていただいている東京大学名誉教授 K先生が
あるとき不思議で印象的なことを口にされた。
「 キンギョを飼うことはいいんですよね…。
すぐ死んじゃうでしょ…。
そこがいいんです。
今は、ヒトは、なかなか死にませんから…。」
…と。
確かに、今は平均余命が随分と伸び、なかなかヒトは死なない。
私の祖父母のうち、二人の祖父は生まれる前にすでに亡くなっていた。
二人の祖母は私が子供のうちに亡くなった。
しかし現在、妻の両親は97歳で亡くなった父と。
老いてはいるけれど元気にしている94歳の母。
私の息子・娘は30代。
少しハードな表現だけれど、
ヒトの最後の役割は、
「子孫たちに「ヒトの死」を身をもって示すこと」…という文章を読んだことがある。
なかなか死ななくなったヒトの代わりに、キンギョは身をもって「死」を
私たちに教えてくれている…ということをK先生はおっしゃっていたように思う。
冒頭の2匹のセミ。
生と死のほんのわずかな差による、大きな違い…。
〈追記:羽化途中の失敗〉
実際に、ヤゴの羽化を支援してみると、羽化の成功率が
意外に高くないことを思い知る。
冒頭のものは、羽化体制に入る寸前にアリに襲われたものだけれど、
こちらは、アリに襲われるのではなく尻尾が何かの拍子に殻にひっかかってしまったものだろうか?
最上部のヤゴは羽化に成功したけれど、2匹目はうまくいかなかった…。
救出したヤゴたち。
その先、我が家の台所の流しの上にセットされ、丁寧にアカムシなどを与えられ、自然環境よりよほど恵まれているはずなのに、羽化に成功して飛び立てる率は高くないことは自分で自分でやってみてこそわかること。
これは、小枝の先にヤゴの抜け殻が残ったものを、水槽から引き抜いて集めたもの…。
彼らは皆無事、トンボになれたということ。
〈おまけ:鉄鋼マンさんちも渋滞〉
やはり、枝を束ねておくと、羽化する場所は丈夫なので、渋滞状態に…。
文章:小池常雄
写真:小池、鉄鋼マンさん(最後の物のみ)
撮影日:20230615 他
撮影場所:小池自宅
ブログ編集:小池常雄
1 件のコメント:
毎回大変ご苦労様です。
生命の誕生と死の問題にホモサピエンスは少し干渉し過ぎたのかも知れませんね。
人の長生きのメリットとデメリットが他の生命とのバランスを崩している感は否めませんね。
やはり現生人類は地球外生命体?笑笑
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