「菜の花が、漸く蕾を持ちました。」
「子供の頃、春になると、母が毎朝実家の側にあった祖母の家の畑で菜の花(母は、茎立菜(くきだちな)と言っていました)を摘んで来ては、お浸しにしてくれました。」小学生時代の私は田んぼでセリを摘んでは、それもお浸しにしてもらって食べていました。
東京で見る水栽培のセリとは、全く見た目が違っていました。
育つ環境で形状が変わっていたのか、そもそも違うものなのか分かりませんが、風味も違ったような気がします。
そんな子供の頃を思いながら、あわよくば菜の花のお浸しを食べられたら、と思っていましたが、これでは勿体なくて食べられませんね。
今年は花を愛でることにして、来年、計画的に育てようと思います。」
東京で見る水栽培のセリとは、全く見た目が違っていました。
育つ環境で形状が変わっていたのか、そもそも違うものなのか分かりませんが、風味も違ったような気がします。
そんな子供の頃を思いながら、あわよくば菜の花のお浸しを食べられたら、と思っていましたが、これでは勿体なくて食べられませんね。
今年は花を愛でることにして、来年、計画的に育てようと思います。」
昨年は巣立ちを見ることはできなかったのですが、途中まで親鳥が出入りしていましたので、巣箱を掃除しておこうと思い、取り外してみました。
どちらだろうかと思いました。」
「思えば、この巣箱を作ったときに小学校1年生だった長男が、明日、中学校を卒業するわけですから、この巣箱は、丸8年、我が家の庭で風雨にさらされてきたわけです。
その間、何度か小鳥が巣だつ様子を見せてくれました。
子供たちにとっては、『命』に触れるとっても貴重な機会になったと思います。
私自身は、ひっきりなしにエサを運んでくる姿を見ては、3人の子育てに追われる我が身を振り返ってみたり…」
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