こんな施設が近くにオープン…
町田市で5カ所目の常設冒険遊び場(非常設の物は他に3カ所)が、
つくし野からもそう遠くない町田駅と成瀬駅のほぼ中間点、
横浜線沿いの雑木林がメインの公園の一部を利用して1月29日正式オープン。
都営住宅の高層棟の間を抜けていくのが一番近道。
住宅棟の裏・北側駐車場の向こう側が、冒険遊び場、
「木もれび自然林」がキャッチフレーズの「町田市立松葉谷戸公園」
の一部を利用して開設されている。
手作りの案内板も設置。
公園内の園路沿いの長方形の部分が、今回開設されたエリア。
近づくにしたがって、子どもたちの笑い声が響く。
開設エリアの入り口部分には、看板をかねた駐輪場の表示。
「子どもの自由なイマジネーションの中で遊びを開拓していく場所」
…との定義が手作り看板で掲示。
現地に設置してあるスチール倉庫の背面にこの日のオープンイベントのアイテムが掲示。
これはビー玉を使ったぶら下げるアクセサリー作り。
寄せ書き的に作成中の大きな旗。
手作りの運搬車?
段ボールとガムテープを使った巨大隠れ家??
こんなに大きい木が茂っている。
下草がいっぱい生えていた場所を開拓して、ようやくここまで来たそうな…。
大型ハンモックとブランコ。
ハンモックの小さいほう。
どろんこエリア。 砂場のドロ版?
パーゴラを工事中…とか。
私は建築が専門だし、建築士。
自分でもDIYでいろいろ創るから、どうしても安全面などが気になってしまい、目が行くのだけれど…。
防腐処理がされていない木材は、どうしても湿気に弱いので、足元は出来ればコンクリートから少し浮かせるほうが、長持ちする。
せめて下部の側面と特に断面には安いクレオソートでよいので入念に塗っておいた方が良い。
前回は無かったこの金物は、アンカーで下のコンクリートに固定されているのかな?
この種の建物は、屋根面が露出されれば、意外に風によって持ち上げられたりしやすい。
ちゃんとアンカーされていればよいけれど…。
前回見に来た時と比べ、斜材が増えて補強され、全体の剛性を高める工夫をしてある。でも、柱から羽子板金物で横架材(短編方向の梁)に直接ではなく、それに90度にかかる長手方向の架材に固定してある。
梁は挟まれているだけ。
羽子板金物はつなげる力はあっても、仕口(しぐち)全体の剛性にはあまり寄与しない。
この部分の剛性を補うために斜材を2方向にかけてあるけれど、スクリュービスひとつで止めてある。
スクリュービスは、引き抜きやせん断方向の力には強いけれど、止付けた面の回転には弱い。
斜材の根元は変形に対して小さな回転の力として作用し、変形の力は次第に積分していく。
ついては、1カ所それぞれ2本以上で留めた方が、はるかに剛性は増す。
更に梁の面の水平方向の変形を防ぐ火打材が無いのが気にかかる。
平面のXY方向に耐えても、45度の方向からの力には意外に弱いのでは?。
これから先、屋根の葺き方もとても気になる。
はねだしが大きすぎて、下からの力、つまり吹き上げの風にはとても弱そうに見える部分がある。
これは道を挟んだ、新活動エリアの開拓中を案内してくれているところ。
ようやく下草を払い、ここまでのエリアを開いたとの事。
これから、ナラ枯れしたコナラ・クヌギの伐採を行って倒木によるリスクをなくし、安全確保をしたのち、滑り台などを整備したい考えとか…。
市からの公費で運営され、これだけのエリアを自由に使え、プレイリーダーたちにも報酬が支払われることは素晴らしいこと。
アルバイト募集の掲示があったけれど、15歳から45歳という年齢制限付き。
高齢者には、少々冷たい(笑)。
[注:加筆]主催者に確認すると、どうやらこの表記は、子どもが書いたものらしい…
ボランティアは募集していても、アルバイトは募集していない…との事。
冒険遊び場は、私が建築学科の学生だった40年以上前からある。
世田谷区の羽根木公園がその初期のものの一つ。
そこのあり方を学び、卒業設計のテーマの一つにしたことが懐かしい。
40年を経て、こんなに近いところにも誕生した。
今後どう使われ、どう変化していくのか? 時々見に行きたい。
〈おまけ:配布されていたチラシとポスター〉
一枚目の下の地図は少々わかりにくい。
何度か目でようやくたどり着いた。
文章:小池常雄
写真: 同
撮影日:20230129
撮影場所:まつばやと冒険広場
ブログ編集:小池
3 件のコメント:
私も同じ日に見学に行きました。
元来、羽根木公園のプレイパークを町田市にも導入するべきだと言っていましたが、成瀬の南大谷よりのところに純民間ボランティアの手によって開設されたのが町田市ではスタートでした。自然を活かした良いものでしたが、地主さんの事情で閉鎖になり、その後、芹ヶ谷公園に最初に冒険遊び場が出来ました。
この場所は、道路のから団地の先になりますので、主体的には南三小、南四小エリアが主体と想定されたと思います。団地内に、最近コイン式駐車場が設置されました。
今回のまつばやと冒険遊び場、トイレが既存のものを使いますので、この際、改修がすべきではないかと思っています。
今から30年近い前に、今の金森東付近の大型開発があり、その時の計画に、団地の奥は新設道路が通る予定になっていましたが、成瀬が丘側の住宅地を抜けて、都市開発道路の予定路線に通り抜けるものでしたが、新しく越してきた住民の皆さんはそのことを知らされておらず、当然反対意見をだして、この道路延伸が中止に至った経過がありました。よって、この冒険遊び場の場所がより分かりにくい場所に設置されているものです。
様々の条件が折り合わされて、今の時代に至ったものです。
自然をより残した遊び場になってほしいと思います。
長くなりした。
吉田さんとは久々に、現地で偶然お目にかかりお話しできました。
あの雑木林がどうしてあんな形でぽっかりと残ったのか?区域内に不思議な道路状に整備された場所があるのか?など、都市計画を仕事の一部にしてきた経歴から不思議に感じていましたので、疑問の一部が解けた気がします。
つくし野にも、都市計画道路が設定されながら、廃止されてしまったものがあります。
社会が、縮小していく中で、都市計画道路を絶対のものではなく適宜見直していくことは良いことと思うけれど、例えば広幅員の道路の中央部を緑地帯にするなど、環境に寄与する形で再整備するなどしないと、無駄に広幅員のアスファルト面を生じさせない改修などが検討されるべきでは?と考えます。投稿ありがとうございました。
横浜線南側の松葉谷戸公園の雑木林は、元は地元さんのものであり、地名も高ヶ坂でした。そのために、松葉谷戸公園は横浜線北側にも展開しています。ただし、北側部分は、私がこの地域(現在の成瀬が丘)の来る以前に行われた都市区画整備と一体で開発され、緑地と比定されたものと思います。地主さんの相続と、町田市のまとまった緑地確保方針が一致し、町田市が取得し、現在に至っているものです。この区域は都市公園化せず、雑木林として残されました。
(現在の金森東地域)は大半が畑地でしたが、道が狭く曲がりくねっていました。その区域に部分的な土地区画整理があり、多数の畑地が住宅区域に変更されました。その計画の中に、町田街道から横浜線をまたぎ、高ヶ坂、その先まで抜ける実質上のバイパス計画が盛り込まれていました。それは我々に期待の半面、それが現実にできるの疑問だと近隣議員で話していました。その道路計画は知らない間に、とん挫、消滅していて様です。
その区画整理の開発計画には団地と松葉谷戸公園に相当する緑地を挟んだ部分に道路新設計画があり、成瀬が丘3丁目を分断する形の都市計画道路(予定のみで、横浜線トンネルを掘削するもので、高ヶ坂の成瀬街道を横切り、南大谷に至る道路)につながる構想のものでした。ただし、そんな計画を聞いたこともないで新興住宅を建てた住民は、当然その計画に反対し、かつ、頭が良い方がいて、その道路が高低差が大きすぎるし、不要だとして町田市と交渉しました。結果、延伸は無く現状の形になっているものです。当時、当事者間の理解の範囲でしたが、それから時間が経過したので、現状の説明として改めて記すところです。この道路の一部は、街路樹を伐採した大型の木材が置かれています。
また、上記のように、この団地を含めた横浜線寄り(朝鮮学校あたりも含む)は「高ヶ坂」の一部でした。地番変更が実施される際、「金森東」となりました。成瀬が丘寄りの人は、市役所に要望し、希望して成瀬が丘3丁目の一部になりました。高ヶ坂→成瀬が丘となりました。
思い出す範囲で、経過や状況を記しました。内容は間違いないですが、個別の話の前後関係は記憶があいまいですので、あえて、記載を略記しました。
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